はじめに
その選手は正捕手の座を掴むことができなかった。2番手捕手としても目立つ活躍ができなかった。それでも、日本シリーズ最終戦で選んだたった1つの四球は今でも鮮明な記憶として残っている。
2008年日本シリーズ制覇の影の立役者、野田浩輔について語りたい。
基本情報
投打 | 右投右打 |
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身長/体重 | 180cm/90kg |
生年月日 | 1977年12月4日 |
経歴 | 八代東高 – 新日鉄君津 |
ドラフト | 2000年ドラフト6位 |
年度別成績
年 度 | 所 属 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 長 打 率 | 出 塁 率 |
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2002 | 西 武 | 33 | 48 | 47 | 4 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 13 | 1 | .191 | .213 | .208 |
2003 | 西 武 | 36 | 75 | 63 | 8 | 14 | 5 | 0 | 1 | 22 | 7 | 0 | 0 | 3 | 1 | 6 | 2 | 16 | 0 | .222 | .349 | .306 |
2004 | 西 武 | 37 | 103 | 92 | 9 | 22 | 4 | 0 | 3 | 35 | 8 | 1 | 0 | 5 | 1 | 4 | 1 | 17 | 2 | .239 | .380 | .276 |
2005 | 西 武 | 26 | 52 | 48 | 3 | 11 | 2 | 0 | 1 | 16 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 8 | 3 | .229 | .333 | .269 |
2006 | 西 武 | 7 | 16 | 15 | 2 | 4 | 0 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | .267 | .400 | .267 |
2007 | 西 武 | 19 | 29 | 25 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 1 | .280 | .280 | .379 |
2008 | 埼玉 西武 | 9 | 9 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .111 | .111 | .111 |
2009 | 埼玉 西武 | 22 | 11 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | .000 | .000 | .091 |
2010 | 埼玉 西武 | 5 | 8 | 8 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .250 | .500 | .250 |
通 算 | 194 | 351 | 317 | 27 | 70 | 14 | 1 | 5 | 101 | 28 | 2 | 1 | 9 | 3 | 18 | 4 | 74 | 8 | .221 | .319 | .269 |
伊東勤の後継者を細川亨と争う
20年もの間、西武の正捕手を務めた伊東勤が2003年に引退。ここから、野田浩輔と細川亨による後継者争いが始まった。自由獲得枠で入団した細川に対して、野田は下位のドラ6での入団。球団の期待度では、細川が優勢に見えた。
野田は監督就任した伊東に猛アピールすると、2004年の開幕マスクの座をゲットした。このまま正捕手に定着といきたかったが、細川に先発マスクを譲ることが増える。結局、細川が116試合出場に対して、野田の出場は37試合と後塵を拝した。
それでも、プレーオフ第2ステージ第3戦で決勝ホームランを打つなど、チームのリーグ優勝と日本一に貢献した。
控え捕手としてチームを支える
その後は、野田は控え捕手としてチームを支えることになる。打撃面では目立った数字を残してないが、徹底した右打ちなど相手チームの嫌がるバッティングができる選手だった。打撃といえば、打席に入る前にバットをバトンのようにくるくる回転させるルーティンが印象的だった。
ところが、2006年に炭谷銀仁朗が入団すると出番を大きく減らす。さらに、強打の上本達之の台頭もあり、野田は厳しい立場に置かれることになった。
攻守で2008年の日本一に貢献
2008年になると、細川が完全に正捕手に定着。控え枠では若手の炭谷や上本が優先され、野田はこの年わずか9試合の出場に終わった。それでも、日本シリーズ出場選手枠の40名に選ばれ、全7試合でベンチ入りした。
そして、3勝3敗で迎えた運命の第7戦、野田に出番が回る。細川が第5戦で負傷離脱したためスタメンマスクは炭谷だったが、投手の代打でホームランを打ったボカチカを残すためにキャッチャーも交代になったのだ。
- 2番 中 栗山巧 → 左
- 5番 左 後藤武敏 → 捕 野田浩輔
- 7番 右 佐藤友亮 → 中
- 8番 捕 炭谷銀仁朗 → 投 涌井秀章
- 9番 投 石井一久 → 打右 ボカチカ
野田は涌井とその次の星野智樹を好リード、巨人打線をパーフェクトに抑える。そのまま1点ビハインドで迎えた8回表、先頭の1番片岡易之が死球で出塁すると盗塁とバントで3塁へ進む。3番中島裕之がサードゴロを打つと、片岡はギャンブルスタートで一気にホームへ!チームは同点に追い付き、2アウトランナーなしという状況になった。ここで4番中村剛也を迎えるが、巨人は中村の一発を警戒して四球を出す。そして、「5番キャッチャー」に入っていた野田に打席が回ってきた。
ピッチャー越智の初球は高く外れて1ボール。2球目は高めの変化球を打つもファールになって1-1。3球目、4球目は連続で外れて3ボール1ストライク。5球目は変化球がストライクになってフルカウント。そして迎えた6球目、低めのボール球を見極めた野田は四球、見事6番の”絶好調”平尾博嗣に繋いだ。
平尾がここで勝ち越しタイムリーを打ち、これが決勝点に。野田はグラマンでもパーフェクトに抑える好リードを見せ、チームは日本一に輝いた。片岡の走塁と平尾のタイムリーが目立った逆転劇だったが、逆転のお膳立てをした野田は隠れたキーマンとしてファンの記憶に刻まれた。
最後に
正直言って、シーズン中の活躍は全くと言っていいぐらい記憶にないのだ。だが、チームを日本一に導いたたった1つの四球によって、野田浩輔は西武ファンの記憶に永遠に刻まれることになったのだ。
引退後はスカウトを経て、野田は2025年現在二軍バッテリーコーチを務めているのだ。コーチとしての活躍にも期待なのだ。
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