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【音楽コラム】ビーイングブームの象徴だったWANDSはなぜ短命に終わったのか

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はじめに

90年代前半に勃発したビーイングブームであるが、B’zとZARDがその代表だろう。しかし、この時代のビーイング系を象徴していたのはWANDSではないだろうか。B’zはロックバンドとして進化して現在も活躍しているし、ZARDの曲はスタンダードとして今なお愛されている。それに対して、デジタルとハードロックを合わせたサウンドにキャッチーなメロディを乗せるという王道ビーイングサウンドのWANDSはなんというか「時代」を感じるのだ。そして、それこそがWANDSを「時代の象徴」たらしめている。

この記事では、B’zやZARDとの比較をメインに、なぜWANDSの人気が短命に終わったのかを考えたい。

90年代リリースのシングル比較

まずは、90年代にリリースされたシングルでB’z、ZARD、WANDSを比較してみよう。さらに、参考のためにビーイング系でミリオンセラーを達成したシングルも追加した。

1990年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
2月B’zLADY-GO-ROUND39位2万枚
4月B.B.クィーンズおどるポンポコリン1位164万枚
5月B’zBE THERE7位35万枚
6月B’z太陽のKomachi Angel1位46万枚
10月B’zEasy Come, Easy Go!1位47万枚
B’z愛しい人よGood Night…1位35万枚

1990年は、B’zが「太陽のKomachi Angel」で初めてオリコン1位を獲得した年である。今なお続く連続1位記録がここから始まったのだが、売上枚数的にはまだそこまで多くない。真の意味での大ブレイクは翌年になってからだろう。

この年のビーイング系で一番売上が多かったのは、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」だった。いや、ビーイング系どころが日本で一番売れたシングルだった。あくまでも企画モノという感じなのでビーイングブームへの影響は少なかったと思われるが、アニメとのタイアップで露出を増やす手法は、以降のビーイング系のお手本になった。

ZARDとWANDSはまだデビュー前。

1991年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
2月ZARDGood-bye My Loneliness9位21万枚
3月B’zLADY NAVIGATION1位117万枚
6月ZARD不思議ね…30位3万枚
10月B’zALONE1位113万枚
11月ZARDもう探さない39位4万枚
12月WANDS寂しさは秋の色63位3万枚

ZARDとWANDSがこの年にデビュー。とはいえ、ZARDのデビューシングルがちょっと目立つ程度で、売上的には全然だった。一方でB’zが2枚のミリオンセラーシングルを出し、一足先にスター街道を歩んでいった。まだ、ビーイングブーム前夜といったところか。

1992年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
5月WANDSふりむいて抱きしめて80位2万枚
B’zBLOWIN’1位176万枚
7月WANDSもっと強く抱きしめたなら1位166万枚
8月ZARD眠れない夜を抱いて8位46万枚
9月ZARDIN MY ARMS TONIGHT9位32万枚
大黒摩季DA・KA・RA2位106万枚
10月B’zZERO1位131万枚
中山美穂&WANDS世界中の誰よりきっと1位183万枚
11月T-BOLANBye For Now2位118万枚

1992年は、ビーイング系だけでミリオンセラーシングルが6枚もリリースされ、ビーイングブームが始まった年と言えるだろう。B’zだけでなく大黒摩季やT-BOLAN、そしてWANDS(コラボを含む)が名を連ねている。

ただし、WANDSについては注意が必要だ。この表では分からないが、中山美穂と共演した「世界中の誰よりきっと」がきっかけで「もっと強く抱きしめたなら」も売上を伸ばし、翌年になってオリコン1位に輝いた。つまり、WANDSが大ブレイクしたのは翌1993年と言った方が正確だろう。

ZARDに関しては、まだプチブレイクと言った段階か。それでも30万枚以上売れてる辺り、当時のCDバブルの凄まじさを感じる。

1993年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
1月ZARD負けないで1位165万枚
2月WANDS時の扉1位144万枚
3月DEENこのまま君だけを奪い去りたい2位129万枚
B’z愛のままにわがままに
僕は君だけを傷つけない
1位202万枚
4月WANDS愛を語るより口づけをかわそう1位112万枚
ZARD君がいない2位80万枚
5月ZARD揺れる想い1位140万枚
6月B’z裸足の女神1位173万枚
ZYYG,REV,ZARD & WANDS
featuring 長嶋茂雄
果てしない夢を2位73万枚
7月WANDS恋せよ乙女1位82万枚
9月ZARDもう少し あと少し…2位84万枚
11月ZARDきっと忘れない1位87万枚
WANDSJumpin’ Jack Boy2位83万枚
12月大黒摩季あなただけ見つめてる2位124万枚

ついにやって来た1993年。この年がビーイングブームのピークと言って間違いないだろう。

まず、ZARDが年初にリリースした「負けないで」で大ブレイク。「負けないで」と「揺れる想い」の2枚がミリオンセラーを達成し、残りの3枚も80万枚以上を売り上げてブームを牽引した。

WANDSも負けてない。中山美穂とのコラボ効果で前年の「もっと強く抱きしめたなら」がこの年に入ってから1位になったのは前述の通りだが、その勢いのまま「時の扉」「愛を語るより口づけをかわそう」と連続でミリオンセラーを達成してトップスターの仲間入り。残りの2枚も80万枚以上と安定した売上だ。

そんな中で、この年のシングルリリースが2枚ながら、両作とも170万枚以上を記録したB’zの人気が凄まじい。ビーイング系の中でもB’zは別格と言っていいだろう。

他には、DEENがデビューシングルでいきなりミリオンセラーを達成。大黒摩季も「あなただけ見つめてる」で2枚目のミリオン達成となった。

1994年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
2月ZARDこの愛に泳ぎ疲れても/Boy1位89万枚
B’zDon’t Leave Me1位144万枚
6月WANDS世界が終るまでは…1位122万枚
DEEN瞳そらさないで1位104万枚
8月ZARDこんなにそばに居るのに1位79万枚
11月B’zMOTEL1位132万枚
12月ZARDあなたを感じていたい2位74万枚

1994年は、前年と比べるとだいぶ落ち着いた印象だ。それでも、ビーイング系でミリオンシングルが4枚と人気はまだまだ健在。B’zはシングル2枚、WANDSは1枚のみのリリースだが、いずれもミリオンセラー。ZARDもリリースした3枚が全て70万枚以上の売上と人気を継続。DEENも2年連続でミリオンセラーを出した。

1995年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
2月ZARDJust believe in love2位66万枚
WANDSSecret Night 〜It’s My Treat〜1位63万枚
大黒摩季ら・ら・ら1位134万枚
5月B’zねがい1位150万枚
6月ZARD愛が見えない2位72万枚
7月B’zlove me,I love you1位139万枚
FIELD OF VIEW突然2位122万枚
8月ZARDサヨナラは今もこの胸に居ます1位55万枚
10月B’zLOVE PHANTOM1位186万枚
12月WANDSSame Side2位23万枚

この年になると、ZARDのシングル売上がじわじわ落ちてくる。それでも50万枚以上は売り上げているが。それにもまして数字を落としたのがWANDSだ。この頃からグランジ・オルタナの影響をモロに出すようになり、一気にファン離れを起こした。一方で、B’zはこの年のリリース3枚全てミリオンと変わらない人気。特に「LOVE PHANTOM」は90年代のB’zを代表する超名曲だ。

他のビーイング系では、大黒摩季とFIELD OF VIEWがミリオンシングルを出している。大黒摩季はこれが3枚目のミリオンセラーであり、何気に貢献度が高いことが分かる。

ビーイング全体ではミリオンセラーが5枚。しかし、Mr.Childrenの台頭や小室ブームの影響で相対的にビーイング系の影が薄くなった。ビーイングブームと言えるのはこの年までだろう。

1996年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
1月ZARDマイ フレンド1位100万枚
2月WANDSWORST CRIME
〜About a rock star who was a swindler〜
/Blind To My Heart
9位13万枚
3月B’zミエナイチカラ~INVISIBLE ONE~/MOVE1位124万枚
5月ZARD心を開いて1位75万枚
B’zReal Thing Shakes1位114万枚

この年、「マイ フレンド」で久々のミリオンを達成し「心を開いて」も75万枚と、前年落ち気味だったZARDの人気が持ち直す。それに対して、自分のやりたい音楽に振り切ったWANDSはさらに数字を落とした。結局、事務所の方針と対立した上杉昇と柴崎浩の2人がWANDSを去ることになる。B’zは、この年もリリースシングル全作ミリオン。「Real Thing Shakes」は最初から最後まで英語歌詞という意欲作だった。

1997年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
1月ZARDDon’t you see!1位60万枚
2月ZARD君に逢いたくなったら…2位64万枚
3月B’zFIREBALL1位75万枚
7月ZARD風が通り抜ける街へ3位28万枚
B’zCalling1位100万枚
8月ZARD永遠1位63万枚
9月WANDS錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう4位21万枚
10月B’zLiar! Liar!1位79万枚
12月ZARDMy Baby Grand 〜ぬくもりが欲しくて〜3位33万枚

この年、ハードロック色を強めたことによりB’zの連続ミリオン記録がついに途絶える。ZARDも50万枚を割るようになり、人気に陰りが見えてきた。メンバーチェンジを経た新生WANDSは、アニメ『ドラゴンボールGT』とのタイアップ効果もあってか若干持ち直す。

また、表には載っていないが、小松未歩がこの年デビュー。2000年前後のビーイングを支えることになる。「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」も彼女の作詞作曲である。

1998年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
2月WANDSBrand New Love17位6万枚
3月ZARD息もできない3位24万枚
4月B’zさまよえる蒼い弾丸1位69万枚
6月WANDS明日もし君が壊れても8位11万枚
7月B’zHOME1位96万枚
9月ZARD運命のルーレット廻して1位25万枚
12月ZARD新しいドア 〜冬のひまわり〜3位21万枚
ZARDGOOD DAY2位22万枚

ついにミリオンセラーが0枚に終わり、ビーイングブームは完全に過去のものになった。当時中学生だった自分の感覚では、ZARDは一昔前のアーティストだったしWANDSはもう終わっていた。唯一B’zだけは現役感があったが、シーンの中心はGLAYやL’Arc~en~Cielに移っていた。

そういえば、12月にZARDが2枚同時リリースをしている。GLAYとラルクの影響だろうか。

1999年

アーティストタイトル最高位推定売上枚数
3月WANDS「今日、ナニカノハズミデ生きている」32位2万枚
4月 ZARDMIND GAMES1位15万枚
6月B’zギリギリchop1位80万枚
ZARD世界はきっと未来の中2位20万枚
10月ZARD痛いくらい君があふれているよ5位12万枚
12月ZARDこの涙 星になれ5位13万枚
倉木麻衣Love, Day After Tomorrow2位139万枚

WANDSが1枚シングルをリリースしているが、もはや全盛期の見る影もない。この曲を最後に、WANDSは2000年に解散した(2019年再結成)。ZARDも10~20万枚にとどまっているが、織田哲郎を始めとした制作陣が次々にビーイングを退社した影響だろう。それに対し、全曲自作のB’zはその影響を受けなかった。この年唯一のシングル「ギリギリchop」は80万枚を売り上げ、健在ぶりをアピールした。

他のビーイング系では、倉木麻衣がデビューシングルでミリオン達成。R&Bというこれまでのビーイング系とは毛色の違うサウンドでヒットした。逆に言えば、WANDSに代表されるビーイングサウンドが完全に過去のものになったということだろう。

90年代リリースのアルバム比較

次に、アーティスト別に90年代リリースのアルバムをまとめてみる。オリジナルアルバム(ミニアルバム含む)、コンピレーションアルバム、ベストアルバムが対象だ。

B’z

タイトル最高位推定売上枚数
1990年2月BREAK THROUGH3位72万枚
6月WICKED BEAT3位111万枚
11月RISKY1位170万枚
1991年5月MARS1位173万枚
11月IN THE LIFE1位240万枚
1992年10月RUN1位220万枚
12月FRIENDS1位136万枚
1994年3月The 7th Blues1位163万枚
1995年11月LOOSE1位300万枚
1996年11月FRIENDS Ⅱ1位145万枚
1997年4月FLASH BACK-B’z Early Special Titles-2位99万枚
11月SURVIVE1位172万枚
1998年5月B’z The Best “Pleasure”1位514万枚
9月B’z The Best “Treasure”1位444万枚
1999年7月Brotherhood1位139万枚

毎年のようにコンスタントにアルバムを発表していることが分かる。そのほとんどでミリオンセラーになっているのだから凄い。特に、1998年リリースのベスト盤『B’z The Best “Pleasure”』は500万枚を超える売り上げて当時の日本記録だった。ちなみに、1997年の『FLASH BACK-B’z Early Special Titles-』はいわゆる「非公認ベスト」。これに激怒したビーイング側が同じ週にあるアルバムをぶつけるのだが、これについてはまた後で。また、「もう一度キスしたかった」や「いつかのメリークリスマス」など、シングル化してないにも関わらず知名度が高い名曲があるのも特筆すべきだろう。

ZARD

タイトル最高位推定売上枚数
1991年3月Good-bye My Loneliness34位25万枚
12月もう探さない36位33万枚
1992年9月HOLD ME2位107万枚
1993年7月揺れる想い1位224万枚
1994年6月OH MY LOVE1位200万枚
1995年3月forever you1位177万枚
1996年7月TODAY IS ANOTHER DAY1位166万枚
1997年4月ZARD BLEND〜SUN & STONE〜1位200万枚
1999年2月永遠1位115万枚
5月ZARD BEST The Single Collection〜軌跡〜1位303万枚
9月ZARD BEST 〜Request Memorial〜1位150万枚

こちらも、精力的にアルバムをリリースしており、3作目以降は全てミリオンを達成している。シングルの売上が落ちた90年代後半でもアルバムは売れており、実は人気をキープしていたと言える。1999年リリースのベスト盤『ZARD BEST The Single Collection〜軌跡〜』で300万枚を超える売り上げを記録するあたり流石である。ちなみに、前述のB’z非公認ベストに激怒したビーイングが同週にぶつけたのが『ZARD BLEND〜SUN & STONE〜』だった。こちらはベスト盤ではなく、夏をテーマに選曲されたコンピレーションアルバムという扱いだ。初週1位に輝き、B’z非公認ベストの1位を阻止した。

WANDS

タイトル最高位推定売上枚数
1992年6月WANDS10位35万枚
1993年4月時の扉1位163万枚
10月Little Bit…2位95万枚
1995年4月PIECE OF MY SOUL1位96万枚
1996年3月SINGLES COLLECTION+61位83万枚
1997年11月WANDS BEST 〜HISTORICAL BEST ALBUM〜1位38万枚
1999年10月AWAKE18位3万枚

意外にも、ミリオンセラーアルバムは『時の扉』だけである(『Little Bit…』と『PIECE OF MY SOUL』も日本レコード協会からはミリオン認定されているが)。B’zやZARDと比べるとアルバムの売上が少ないのはどういうことだろうか。考えられるのは、単純に「アルバムとしての出来」が良くなかったということだ。以下の『時の扉』のレビューで「あわてて作ったぽい、むりやり曲をデッチあげてアルバムにしてしまったように聴こえます」と書かれているように、曲の寄せ集めでアルバムとしては散漫だった。

WANDS / 時の扉 [再発] - CDJournal
WANDS / 時の扉 のリリース情報、レビュー、関連するニュースやタイアップ情報など

では、ベスト盤についてはどうだろう?『SINGLES COLLECTION+6』と『WANDS BEST 〜HISTORICAL BEST ALBUM〜』の2つのベスト盤を合わせて約120万枚。B’zの500万枚とかZARDの300万枚と比べると少し寂しい。この頃には、既にWANDSのサウンドは飽きられていたのかもしれない。

なぜWANDSの人気が短命に終わったのか

シングルの売上を見る限り、1993年の時点では、WANDSはB’zとZARDに引けを取らない存在だった。ところが、1994年の「世界が終るまでは…」を最後に大ヒットから遠ざかり、2000年に解散してしまった。どうしてこうなったのか、考えてみたい。

メンバーのグランジ・オルタナ志向による急な路線変更

まず、よく言われることではあるが、1995年頃にボーカル上杉昇とギター柴崎浩のグランジ・オルタナ志向によってJ-Popから路線変更した結果、これまでのファンが離れていった。B’zが「やりたい音楽」と「求められる音楽」の間で上手くバランスを取りながらハードロック色を強めていったのに対し、WANDSはいきなり「やりたい音楽」に振り切ってしまった。その結果、シングルの売上が急激に落ちて凋落のイメージが付いてしまった。

事務所主導の弊害とセルフプロデュース能力の欠如

上のまとめを見ても、WANDSはシングルに比べてアルバムの出来を重視していなかったように思われる。これは、事務所主導の弊害が大きかったのではないだろうか。例えば、アルバム『時の扉』の作曲には織田哲郎を始め、大島康祐、川島だりあ、多々納好夫、そしてメンバーの上杉昇と柴崎浩がクレジットされているが、1曲ごとに作り手の個性が出てしまいアルバムとしての統一感がなくなってしまった。B’zがアルバムごとに明確なコンセプトを作って、自分たちで作詞作曲していたのとは対照的である。

ZARDだって作曲は事務所任せじゃんって言われそうだが、彼女にはセルフプロデュース能力があった。サウンドプロデューサーとして編曲に参加し、さらにアルバムのコンセプト作りや曲順の決定にも関与するなど、アルバムを作品と捉えて質の向上に余念がなかった。結果、シングルの売上が落ちた90年代後半でもアルバムはミリオンセラーを記録し、アーティストとしての存在感を示すことが出来た。逆に言えば、WANDSはセルフプロデュース能力が欠如していた。

王道ビーイングサウンドが飽きられた

WANDSを始めとする典型的なビーイングサウンドの特徴といえば「打ち込みリズム」+「厚いギター」+「叙情的メロディー」であるが、90年代前半では確かに新しくてカッコよかった。しかし、T-BOLAN・ZYYG・DEEN・FIELD OF VIEWなど似た質感のバンドが同時多発したことで、同じような音がテレビ・ラジオにあふれかえって飽和化してしまった。その結果「全部同じに聞こえる」と言われるようになり、リスナーから飽きられてしまった。

また、Mr.Childrenの台頭と小室ブームも追い打ちをかけた。作家性と商業性を持ち合わせたミスチルの登場は事務所主導のビーイングバンドを過去のものにしてしまうインパクトがあったし、小室哲哉のダンスミュージックを取り入れた最新打ち込みサウンドによってビーイングサウンドは古臭いものになったしまった。結果として、メンバーチェンジを経てビーイングサウンドに戻ったWANDSでも全盛期を取り戻すことはできなかった。

最後に

といった感じで、B’zやZARDとの比較を中心にWANDSを分析したわけだが、WANDSは事務所主導の恩恵と弊害をもろに受けた印象だ。だからこそ、WANDSはビーイングブームの象徴と呼ぶに相応しいと言える。

2000年に解散したWANDSだったが、柴崎浩を中心に2019年に再結成して現在も活動中である。上杉昇は自身のバンド「猫騙」でやりたい音楽を追求、現在はソロでの活動が中心のようだ。

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SINGLES COLLECTION 6 – WANDS

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