ライオンズ名脇役列伝

【ライオンズ名脇役列伝】野田浩輔~チームを日本一へ導いた四球~

ライオンズ名脇役列伝
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はじめに

その選手は正捕手の座を掴むことができなかった。2番手捕手としても目立つ活躍ができなかった。それでも、日本シリーズ最終戦で選んだたった1つの四球は今でも鮮明な記憶として残っている。

2008年日本シリーズ制覇の影の立役者、野田浩輔について語りたい。

基本情報

投打右投右打
身長/体重180cm/90kg
生年月日1977年12月4日
経歴八代東高 – 新日鉄君津
ドラフト2000年ドラフト6位

年度別成績

































2002西 武33484749100102010001131.191.213.208
2003西 武367563814501227003162160.222.349.306
2004西 武3710392922403358105141172.239.380.276
2005西 武26524831120116600013083.229.333.269
2006西 武71615240106200100031.267.400.267
2007西 武192925070007310004051.280.280.379
2008埼玉
西武
999110001000000040.111.111.111
2009埼玉
西武
221110000000000001050.000.000.091
2010埼玉
西武
588022004000000030.250.500.250
通 算19435131727701415101282193184748.221.319.269

伊東勤の後継者を細川亨と争う

20年もの間、西武の正捕手を務めた伊東勤が2003年に引退。ここから、野田浩輔と細川亨による後継者争いが始まった。自由獲得枠で入団した細川に対して、野田は下位のドラ6での入団。球団の期待度では、細川が優勢に見えた。

野田は監督就任した伊東に猛アピールすると、2004年の開幕マスクの座をゲットした。このまま正捕手に定着といきたかったが、細川に先発マスクを譲ることが増える。結局、細川が116試合出場に対して、野田の出場は37試合と後塵を拝した。

それでも、プレーオフ第2ステージ第3戦で決勝ホームランを打つなど、チームのリーグ優勝と日本一に貢献した。

控え捕手としてチームを支える

その後は、野田は控え捕手としてチームを支えることになる。打撃面では目立った数字を残してないが、徹底した右打ちなど相手チームの嫌がるバッティングができる選手だった。打撃といえば、打席に入る前にバットをバトンのようにくるくる回転させるルーティンが印象的だった。

ところが、2006年に炭谷銀仁朗が入団すると出番を大きく減らす。さらに、強打の上本達之の台頭もあり、野田は厳しい立場に置かれることになった。

攻守で2008年の日本一に貢献

2008年になると、細川が完全に正捕手に定着。控え枠では若手の炭谷や上本が優先され、野田はこの年わずか9試合の出場に終わった。それでも、日本シリーズ出場選手枠の40名に選ばれ、全7試合でベンチ入りした。

そして、3勝3敗で迎えた運命の第7戦、野田に出番が回る。細川が第5戦で負傷離脱したためスタメンマスクは炭谷だったが、投手の代打でホームランを打ったボカチカを残すためにキャッチャーも交代になったのだ。

  • 2番 中 栗山巧 → 左
  • 5番 左 後藤武敏 → 捕 野田浩輔
  • 7番 右 佐藤友亮 → 中
  • 8番 捕 炭谷銀仁朗 → 投 涌井秀章
  • 9番 投 石井一久 → 打右 ボカチカ

野田は涌井とその次の星野智樹を好リード、巨人打線をパーフェクトに抑える。そのまま1点ビハインドで迎えた8回表、先頭の1番片岡易之が死球で出塁すると盗塁とバントで3塁へ進む。3番中島裕之がサードゴロを打つと、片岡はギャンブルスタートで一気にホームへ!チームは同点に追い付き、2アウトランナーなしという状況になった。ここで4番中村剛也を迎えるが、巨人は中村の一発を警戒して四球を出す。そして、「5番キャッチャー」に入っていた野田に打席が回ってきた。

ピッチャー越智の初球は高く外れて1ボール。2球目は高めの変化球を打つもファールになって1-1。3球目、4球目は連続で外れて3ボール1ストライク。5球目は変化球がストライクになってフルカウント。そして迎えた6球目、低めのボール球を見極めた野田は四球、見事6番の”絶好調”平尾博嗣に繋いだ。

平尾がここで勝ち越しタイムリーを打ち、これが決勝点に。野田はグラマンでもパーフェクトに抑える好リードを見せ、チームは日本一に輝いた。片岡の走塁と平尾のタイムリーが目立った逆転劇だったが、逆転のお膳立てをした野田は隠れたキーマンとしてファンの記憶に刻まれた。

最後に

正直言って、シーズン中の活躍は全くと言っていいぐらい記憶にないのだ。だが、チームを日本一に導いたたった1つの四球によって、野田浩輔は西武ファンの記憶に永遠に刻まれることになったのだ。

引退後はスカウトを経て、野田は2025年現在二軍バッテリーコーチを務めているのだ。コーチとしての活躍にも期待なのだ。

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