はじめに
2011年3月11日に発生した東日本大震災から今日で15年が経過した。「光陰矢の如し」と言うが、本当にこの15年間はあっという間だった。
自分や知人に大きな被害があったわけではなく、何か壮絶な体験をしたわけでもない。ただ、その瞬間にいた一人の日本人として自分の体験を語りたい。
地震発生前
当時の自分は東京都下のSE会社に勤めており、3月11日(金)が納期のプロジェクトに携わっていた。納期が迫っていたこともあり、その週の月曜から木曜は24時近くまで残業していた。
そして迎えた3月11日、その日は納品を済ませて定時で上がるはずだった。新宿で飲み会の予定が入っており、仕事終わりにパーッとやるはずだった。
14時46分頃、自分は納品のことで部長と話をしていた。
地震発生
部長と話をしていた最中、突然経験したことのない大きな揺れを感じた。自分はすぐにしゃがみ込んで揺れが収まるのを待った。職場では震度5弱の地震だった。

しばらくして、体操の音楽が流れ出した。職場では14時50分頃に体操をする習慣があったのだが、こんな状況でも体操をするのかと苦笑が聞こえた。
状況が状況とは言え、納品目前だった自分は仕事を続けていた。しかし、15時を過ぎたあたりだっただろうか、全員外に出るように指示が出た。
当時はまだスマートフォンが普及しておらず、外にいる自分は何が起きているのかはさっぱり分からなかった。ガラケーのワンセグでテレビを観てる人がいて津波が来ているというのは耳に入ったが、その時の自分はそこまで深刻に考えてなかった。あと、花粉症のせいで鼻水が止まらなかった。
外で待機してから30分だか1時間だか経った頃、帰宅指示が出された。納品も延期になり、自分は自宅に帰ることにした。電波が繋がらず友人と連絡が取れなかったが、飲み会ができる状況ではないことは明らかだった。ちなみに、この頃はLINEがまだなく、友人とはキャリアメールでやり取りするのが普通だった。
神奈川の実家とも連絡が取れなかったが、東京よりも震源地から遠いし海から離れてたので、大きな心配はしていなかった。
帰宅して事態を知る
この時電車が全面ストップしていて帰宅難民が大量発生したわけだが、自宅が会社から徒歩圏内だった自分はいつも通り帰ることができた。
途中、コンビニで夕食とお酒を購入した。お酒は日本酒とワイン、あとは梅酒だっただろうか。今にしてみると、よく商品が無事だったなと思う。
自宅に着いた自分がまず心配したのはCDラックだった。400枚以上の音楽CDをアルファベット順で並べて整理していたのだが、これが飛び散っていたらどうしようと思いながらドアを開けた。
CDラックは倒れておらず、奇跡的に1枚もCDが飛び出てなかった。おそらく、揺れの方向が良かったのだろう。ただ、本棚やPCデスクに置いてた物が落ちてたりしたので被害が全くなかったわけではない。
部屋を片付けて一息ついた自分はテレビを点けた。そして、初めて深刻な事態を知った。津波が来ているというのは知っていたが、想像を遥かに超える被害が出ていた。他にも、大きな渦潮が発生していたり石油コンビナートで火災が発生している映像が流れていた。
そして、福島第一原発の事故だ。初めての事態に何も考えられなくなり、やけ酒して寝た。
ぼーっと過ごした土日
土日は、ほとんどの間テレビやYouTube、ニコニコで津波の映像を観ていた。ただ無気力にぼーっと観ていた。テレビCMで「ぽぽぽぽーん」が流れまくったのもこの頃だったかな。
手帳と家計簿の記録では日曜に免許の更新に行ってるのだが、記憶が全く無い。
ぼーっとしている間に土日が終わった。
スーパーから食品が消える
3月14日(月)、仕事してる場合かと思いながらも会社に向かった。納期がいつになったのかは覚えてないが、納品の準備をしていたはずだ。あと、デスクトップPCを机の上に置く場合は縦置き禁止で必ず横置きにするようお達しが出たのを覚えている。そして、仕事を終えた自分は夕食のおかずを買いにスーパーへ向かった。
そこには食品が全くと言っていいぐらい何もなかった。お惣菜はもちろん冷凍食品にカップ麺までもがスーパーから消えていた。そして、スーパーを探し回ってやっと見つけたのが、ウインナー1本と板チョコ1枚だった。
その日の夕食は、ご飯とウインナー1本。あとは、デザートで板チョコ1枚。
そして日常へ
その後、すぐに日常が戻った。流通も復活して、食べ物に困ることもなくなった。
電力不足で計画停電があったが、自宅の地域は対象外だった。近くに病院があったからだと思うが、当時の首相の選挙区だからなんて噂もあった。電力といえば、あの頃は東京ドームが槍玉に上がってたなぁ。
ネットを中心に原発事故による放射能の影響を煽る声もあったが、福島から離れた東京だったこともあって自分は特に気にしてなかった。お米も今まで通り福島県産のものを買っていた。
エンタメを楽しむ余裕も出てきた。ニコニコでは「ぽぽぽぽーん」こと「あいさつの魔法」のCMをネタにした動画が作られ、特に『グレートありがとウサギ』から始まる『攻強皇國機甲』シリーズは当時の楽しみだった。
震災の影響で11話以降が放送延期になっていた『魔法少女まどか☆マギカ』の放送日が決まった際には、事前に1話から10話まで一気見して予習した。そして11話と最終話の一挙放送を迎えたわけだが、素晴らしい内容で間違いなくアニメ史に残る傑作だと思った。ただ、これを楽しみにしていたのに見れなかった人がいると思うと、少し申し訳ない気持ちにもなった。
スポーツ界でも動きがあった。まずはJリーグが3月下旬にチャリティマッチを開催した。カズこと三浦知良がゴールを決めてカズダンスを踊った瞬間、自分はテレビの前で声を上げていた。
プロ野球の開幕は4月に延期された。電力の関係で序盤は関東の球場を避けていた記憶がある。また、3時間半ルールなんてものもあった。この年、自分は西武ドームで17試合観戦して8勝7敗2分だった。土日に西武ドームで試合がある時は、どっちかには必ず行ったんじゃないかな。
そんなこんなで、2011年中に少なくとも自分の周りでは日常が戻っていた。
最後に
といった感じで振り返ってみたわけだが、完全に安全地帯にいた人の話だなこれ。
ただ、今にしてみると、可能な人から日常に戻って社会や経済を回すというのも大事なことだったと思う。
あれから15年。この日のことは一生忘れないだろう。


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